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日本の標準語誕生の歴史
日本の標準語誕生の歴史
・標準語誕生の時代背景
 明治時代になり、日本はアメリカやヨーロッパの進んだ文明に対抗するため、全国を統一し、急いで国力をつける必要があると感じていた。新しい国をつくるには、教育が重要となる。子どもはみな学校に行くという義務教育がはじまり、国を支える国民の教育が大事にされた。そうして今までバラバラだった言葉を統一する必要がでてきたのだ。当時、話し言葉といえば、全国各地の方言しか存在していなかった。近代日本において公的な学校教育がスタートしたのは明治5年の学制発布である。「国語」という教科はまだなく、日本語に関するいくつかの教科に分散していた。その一つに「会話(コトバヅカヒ)」がある。当時の文部少丞であった西潟訥氏の説諭に、陸羽(北東北)の人と薩遇(鹿児島)の人との間で言葉が通じない例を挙げ、全国共通に通用する口語の教育が会話科において意図されていたことが知られる。また、同じ説諭の箇所に、「通語」という漠然とした表現の具体的実質についてほとんど明確でないものの、全国共通に通用する日本語のヴァラエティー(=標準語)を話すことが教師の望ましい資質と考えられていた。ただし、この段階では「標準語」という名称は、その概念とともに日本語の世界に確立されておらず、方言は不可というだけで、全国に通じる言葉に指針は示されていなかった。そのような時代背景のもとで標準語は誕生することとなった。
・標準語誕生への動き
 「標準語」作りが国家事業として推進されるようになるのは明治時代もなかば過ぎからである。帝国大学博言語学科の初代日本人教授となった上田万年が、『国語のため』ではじめて日本語において「標準語」の必要を説いたのが明治28年、これを受けて文部省に国語調査委員会が設置されたのが明治35年。明治ももう残り10年という時期であった。同委員会は全般的に近代日本語の基盤作りを行うことが任務であったが、その調査指針のひとつに「方言ヲ調査シテ標準語ヲ選定スルコト」という柱が立てられており、明治39年には全国調査を踏まえて『口語法調査報告書・同分布図』が刊行され、はじめて方言実態が科学的に明らかにされた。これを踏まえてトップダウンに「標準語を選定する」という国家事業が推進された結果、標準語の具体的規範が明瞭となり、その成果は逐次学校教育に反映されることになる。  明治33年には従来分散されていた日本語関係の教科が「国語科」として統合され、36年からは教科書が固定化されていく。国定教科書編纂にあたっては、『尋常小学読本編纂趣意書』に「文章ハ口語ヲ多クシ用語ハ主トシテ東京ノ中流社会二行ワルルモノヲ取リカクテ国語ノ標準ヲ知ラシメ其統一ヲ図ルヲ務ムルト共ニ・・・」と明記され、実質を備えた標準語が学校教育を席巻していく歴史的条件が明治後期において整ったことになる。この後、方言を使った罰としての「方言札」に象徴されるような過度の標準語励行運動、そして海外植民地における皇民化教育の一環としての日本語強制等、また、大正14年から始まったラジオ放送で話される標準語により、共通の日本語、標準語は広まっていき、日本の国語政策は突き進んでゆくことになる。


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